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またもやリーズ・ユナイテッドー熱の源泉

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 9月末になって、プレミアもギアーが入ってきた(リーグ戦らしくなってきた)が、観客がいないのは何とも。ホームとかアウェイの感じがないのはすごく寂しい。こればかりは諦めるしかないが、中断よりはましだ。イギリスでもコロナは復活、再びロックダウンした地域も少なくない。ファンとしても耐えるしかない。来年3月くらいまでには撤退をしてほしいが。 リーズはそれなりにやっている。シェフィールドとのセカンドハーフはよかった。その前のフラム戦もそうだったが、オートマティズムが少しギクシャクしてたのは、心理的なことが要因ではないだろうか。知っている相手なので少し気を抜いたということか。ただ、キーパー、イラン・メリエが素晴らしかった。特にシェフィールド戦の。名前がイギリス中に(欧州にも)知れ渡ることになった。BBCスポーツは「この男は誰だ」という特集的紹介をしていた。フランスのブルターニュの小さな港町出身。そこに現在は2部にいるがたまに1部に上がる「ロリアン」というクラブがある。メリエはそのクラブ出身である。近くにポンタヴェンという画家ゴーギャンたちが集まった有名な観光地があるのでちょっと寄ったことがあるが、そんな小さな町にそれなりのクラブがあり、そこからトップレベルの選手が出てくるのだから、ヨーロッパのフットボール界は懐が深い。ちなみにアーセナルのゲンドゥージ もこのクラブ出身だ。 メリエは20才と若いがリーズのファーストチョイス・キーパーになるだろう。インタビューを見ても初々しく性格も素直そうだ。もう数段階アップすれば、ヨリスを脅かすフランス代表のキーパーとなるかもしれない。今週土曜日(もう明日になってしまった)のシティー戦が待ちどうしい。ビエルサとペップ。スペイン以来の対戦だ。 「哲学的」と大袈裟な言葉をタイトルに入れてしまったこのフットボール・ブログだが、だんだんリーズ・ユナイテッドについてのブログになってきた。僕がますますビエルサ・リーズにのめり込んでいってるからだが、理屈を言えば、現在のこのチームに、フットボールの原点、フットボールの哲学の原点のひとつがあると感じるためだ。 フットボールの起源はさまざまで、その歴史を細かく調べたことがないのではっきり言えないが、ただ、現代のフットボールの起源としてもっともありそうな競技(遊び)は、中世から近世にヨーロッパ(特にフランス北...

残響ービエルサ・リーズPL初戦

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9月12日、リーズの初戦、対リヴァプール。感動した。想像をはるかに超えていた。ビエルサイズムが浸透し、選手やサポートしてきた人達の努力と情熱が花開いたのだと思った。それほど細かく覚えてないが、昔のボイアー、キューウェル、ヴィデュカの時代のリーズも少し知っている。ただ、ビエルサ・リーズは、それとは違った。何て言うのだろう。戦術と情熱・知性が噛み合い、世界トップクラスのオーケストラの演奏、それもロマン派のアップテンポな交響曲を聴いているようだった。あのストラヴィンスキーのバイオリン協奏曲の第3楽章のように。よくぞここまでレベルアップしたと感激した。ハリソン、フリップス、エイリング、メリエ、コスタ、11人すべてに熱があった。その熱は絡み合い、ピッチが大きな火の玉となる。去年まであんなにゴールをふかしていたバンフォードもファン・ファイクのミスを逃さない。負けたけど勝った!実際は引き分けだ。前半始めのコッホのハンドは、何人もが言うように、今季のハンド・ルールでは、決定的なハンドではなくVARに委ねるもの、それなのになのに!ともかく、こんな試合を見るのは久しぶりだ。地元のサポーターたちの興奮度はどんなものだっただろう(その映像を見たいと思ったが見つからなかった)。ビエルサにとっても満足のいく試合だったのではないか。   その試合の余韻は数日間続いた。その間、反響はどうだったのかを知りたいと思い、多くのメディアの電子版をかなりチェックした。称賛記事が溢れていた。イギリスはもちろん、フランス、イタリア、スペインなどでも同じ。世界のフットボール・ファンが感動していた。そうした試合だったのだ。「サッカー」の国日本では、少し情報が遅いし数も少ない。「南野不出場」にウエートが置かれていた。ア〜ア〜。あんなテンションとスピードのある試合には南野は適応できないだろう。「あの」久保だって。サッカーとフットボールはまだまだ遠い。 12日土曜日の残響が身体に響いている時に、カップ戦ではハル・シティーに負けてしまった。これでプレミアに集中できるだろうとサポーターたちは問題にしてないが、ある意味、選手層の薄さも見えてきた。今夏の移籍期間でリーズが積極的に動いているのは、このためもあるのかと思う。もちろん金満クラブのように大金を払えないので、チーム財政とチームの戦略プランにあった選手を連れてくるこ...

リーズのカヴァーニを夢見て

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リーズがプレミアに復帰するのがうれしくて、その日からネットでリーズのニュースや動画に浸っていた。現地リーズに行ったことはないが、リーズ・サポーターの市内でのお祭り騒ぎは、コロナなのにと思うものの、サポーターたちが16年間抱えてきたチームへのルサンチマンが爆発し快楽へと変わったその光景を見て、それほどまでチームを愛しているのかと驚き、また羨ましくもあった。そんな昇格決定後のリーズのニュースを追っかけていたら、何と!オーナーの ラドリッツァーニが、あのカヴァーニに興味があって移籍交渉をしたいと思っているというニュースがデジタル日刊誌ReedsLiveに出てきた(Sky Sport Italia経由)。日本でも報道されたが、ほんと驚いた。なんと言っても、ぼくはカヴァーニの大ファンなのだ。日本にも多くのファンがいると思う。 そのカヴァーニ、ウルグアイ の北部サルト(Salto)という町(アルゼンチンとの国境にある人口10万人ほど。でもウルグアイ で3番目に人口の多い町だそうだ)に生まれ、地元の サルトFCでフットボールを始める。 父親がフットボーラー(のちに指導者にもなる)だったためだろう。そして12歳で首都モンテビデオに移り、ウルグアイ の強豪チーム、ダヌビオFC(Danubio FC)のユースチームでプレーし始める。ちなみに、このクラブにはフォルラン、ヒメネスなども在籍していた。2006年にトップチームと契約、初年度から活躍し、海外でも知られるようになる。そして、翌2007年冬にイタリアのパレルモに。ただし、活躍しだすのは2007−08シーズンに入ってから。このパレルモで、カヴァーニはそのプレースタイルから「エル・マタドール」のニックネームを与えられることになる。パレルモでの活躍で、ヨーロッパ中に知られるようになり、2010年名門ナポリと契約(最初はレンタル)。2年目には26ゴールを決め、イタリアのトップ・アタッカーの一人となる。 と、カヴァーニのキャリアを仏・西のウィキに頼って簡単に書いてきたが、実は、ぼくはイタリア時代のカヴァーニをほとんど知らない。中田英寿効果で日本で「イタリア・サッカー・ブーム」があった時代のあとにカヴァーニはイタリアにやってきたのだ。ぼくもまだ本格的フットボール・ファンではなく、素直に日本のサッカー・メディアを信じ、中田、俊介等々、欧州...

マルセロ・ビエルサとチェ・ゲバラープレミア復帰に思う

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 前回のブログ投稿から、またまた3ヶ月近くになってしまった。コロナ禍の下での生活は後でちょっと書きたいが、久しぶりの投稿は、なんと言っても リーズのプレミアへの復帰! サポーターたちの歓喜の様子をイングランド のメデイアが大々的に報じている。エランド・ロード前に集まったサポーターの映像から興奮度がわかる。とにかく来季のプレミアがこれまで以上に楽しみになってきた。ただし、問題はビエルサがチームに残るかどうか。基本、2年契約だが、これはビエルサの気持ち次第だろう。クラブとリーズ、そしてサポーターとビエルサとの関係次第だ。ビエルサは気に入っているという。リーズ・ユナイテッドがフットボールの原点を体現していると感じているらしい(色々な記事からの推測だが)。あと1年でいいからリーズで指揮して欲しい。これがぼくの願いだ。もちろん、その先続けてくれれば言うことはない。個人的感想としては、ビエルサは理想のフットボールが実現できるチームを探してきたのではないかと思っている。リーズはそれに近いと感じているのではないか。理想、それは戦術やスター選手を集めてフットボールをすることではない。そんなのはモリーニョなどスター監督とビッグクラブに任せておけばいい。 フットボールは、クラブを作り上げる環境がすごく重要だと、ビエルサは考えていると思う。どの監督も考えるだろうが、ビエルサはそれを突き詰める。リーズ就任後に要求した選手のための環境作り(これはフランスのリールでもやった)によく現れている。そうするのは選手のプレーの質を上げるためばかりではない。ビエルサは、フットボールは、チームのある都市・地域のサポート・コミュニティーに支えられていると考えているに違いない。選手たちに観客席を掃除させるところにもよく表れている。 彼にとってフットボールはクラブ持つ地域の「人々のためのもの」なのだ。監督と選手は「人々のために」プレーする必要があると考えているのだ。そのためにチームは「いい試合をし」、サポーターに喜びと幸せを与える必要があるのだ。勝利はそこに付いてくるものだと考えているのだろう。戦術オタクであるのは、もちろんビエルサの本来的気質もあるだろうが、「人々のために」という思想から自然に生まれてくるものだと思う。 昨年度、18−19シーズンに物議を醸したスパイゲート事件や得点返上事件など...

フィットボールが消えた日ーコロナとともに考える

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前回の投稿から3ヶ月ほどたってしまった。もちろん新型コロナウィルスのせいである。社会だけでなくスポーツ界も混乱。当然だ。スポーツも社会の構成要素、それも大きな要素。社会の震えはスポーツのそれでもある。スポーツ界も様々な変更を強いられた。 フットボールに関しては、イングランド ・チャンピオンシップの状況が一番気にかかかっていた。19−20シーズン、このブログにしばしば書いてるマルセロ・ビエルサが率いるリーズをずーっと追ってきたからだ。12月のスランプから立ち直り、中断前には首位にリターン。プレミア昇格の可能性がグーンと出てきた。だが、コロナによってレギュレーションの白紙化もありえるという憶測、つまり、今シーズンはなしにしてしまうという案まで出てきて(プレミアでも同じ)、今シーズンの行方が心配で細かいことまでチェックしていたのだ。今シーズン再開問題は今でも未解決。その間に選手の賃金減額や補償問題、6月末の契約の問題等々、いろんな課題が出てきて解決策はいまだ見つかっていないのだ。そんなニュースをBBCsportやフランスのレキップなどをチェックしながら追いかけ、リーズ関連では地元紙Yorkshire Evening Postで追う。こうした情報のチェックにはかなり時間が割かれる。加えて、ユーロ2020 の延期。観戦旅行の80%ほどを準備していたので、ホテルやフライトのキャンセル等々でも慌ただしかった。ぼくにとって今年一番の楽しみだったのに!こうした何やかんやで、2月から4月に入っても、チャンピオンシップ初め様々な欧州フットボール情報のチェックに時間を費やしていたのだ。加えてコロナ関連のニュースもついつい見てしまう。ブログを書く時間がなかった。 といっても、書こうとしなかったわけではない。何度も書き始めたが、考えがまとまらず「保存」を繰り返す。繰り返している内に、事態は次々に動くので書き直す。コロナは考えて書くことにも打撃を与えている。こんなことしていたので、3ヶ月近くも投稿が中断してしまったのだ。短い文章は肌に合わないので、facebookやtwitterはする気がない。「いいね」とか言われてもね〜。SNS的な言葉とイメージの感覚が肌に合わない。年寄りだからでもある。いわばSNS的コミュニケーション弱者なのだ。外出を控えている現在、ますますSNS的世界から置いて...

南野と下降曲線のリーズ・ユナイテッド

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ブログも投稿期間が空いてきた。ほとんど読まれないブログって何だろうと思いつつも、フットボール世界をどのように書いたらいいのかの実験台としてもあるので、書きたいことを書きたいときに書くスタンスは続けていこうと思う。ブログは速攻のsnsと違ってゆったりできるメリットがある。と言っても、フットボールファンには日々のフットボール情報をネットでチェックするだけで時間がかかるし、自分の仕事(しなければなたないこと)もあるし、加えて今年のユーロ旅行の手配も大変だ。こんな下世話な現実があると、なかなか深く思考する時間が取れないのだ。実際だんだんブログが「非哲学的」になっていく。まあいいか。それもブログだ。 日本のサッカーメディアは、久保に代わって南野の話題へとシフト。「リバプールの南野」というブランドの方が上だものね。あと2ヶ月ほど経たないと実際のことはわからないので、日本の記者発の南野記事はほとんど読まない。何人の日本のライターたちが南野番としてイングランド にいるのか知らないが、ヨイショ記事を書くのは、スポーツライターとしてどんな気持ちなんだろう。大体日本の読者をなめている。日本のサッカーファンや一般の人も含めて「関心を引くように、読まれるように」という思惑が記事には満載だ。そのことが日本サッカーの弱さへと繋がっていくのに、それがわかっていないライター(あるいは配信元)が多すぎる。南野であれ久保であれ、日本語で報道される記事は文脈全体の断片にすぎない。少しでも地元紙、海外紙をチェックしていればわかる。まあ時々あちらのスポーツ記者にも「逆オリエンタリスト」的記者がいて、日本人プレーヤを褒め称える「日本好き人間」もいるから「称賛記事」もあるだろう。でも、FAカップやウルブスの南野をみた人なら、彼がリバプールに適応数のはまだまだだと不安になった日本のファンも多いと思う。いつも書いていることだが、フットボールはグローバルなのだ。書く側も、その視点がほしいと思っている。欧州の日本人選手だけを「ヨイショ」してても生産的なことは何もない。 さて、南野のことから書き始めたが、その話題はこのところのぼくの関心事ではない。日々やきもきしているのはチャンピオンシップ でのリーズ・ユナイテッドのもたつきのことである。昨年12月中頃までは、プレミア昇格確実かと思っていたし、FAカップアーセナル...

2019年11 、12月フットボール日記

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このブログの投稿間隔が空いてきたが、まあ、ゆっくり書き続けていこう。さて、この秋から年末までのフットボール界の動きは目まぐるしかった。ぼくの気になったことをおさらしておく。 まず、フィンランドのユーロ2020出場決定!これには驚いた。これこそ歴史的快挙だ。一度だけフィンランド代表チームの試合を観戦したことがある。ポルトガルとの親善マッチ。そこにはリトマネンもヒーピアもいた。何と、息子はヒーピアからサインをゲットした。その黄金時代でさえユーロにも(出場チーム数が少なかったこともある)、ましてやW杯にも出場してない。フィンランド・リーグのトップクラブ、ヘルシンギン・ヤルカパッロクビル(HJK)もヨーロッパ主要リーグに出場していない。フットボールの弱小国と見なされてきたはずだ。そんな国の代表がユーロに。わりと好きな国なので嬉しくなったし、ロシアと同グループに入ったので実際に試合を見れるかもしれない。来年、老体に鞭打ってユーロ観戦を予定しているのだ。チケットもサントペテルスブルクでの試合を1枚だけゲットしている。熱狂するフィンランド・ファンは前回のアイスランドのようにすごい応援パフォーマンスになるかもしれない。ユーロ観戦の準備は苦労するが、楽しみが増えた。そうそう、HJKには少し前、田中亜土夢が所属していたことも思い出した。そうしたら彼の水墨画展覧会の記事がネットに載っていた。これは珍しい。スポーツと美術は水と油のような関係だと思っていたからだ。この点に関しては、次回のブログに書いてみようと思っている。 そしてプレミアの監督交代劇。やっぱりのモリーニョとエメリ。金融資本主義に侵されたビッグ・チームの監督は大変だと想像する。フットボールについて熟考するだけでなく、経営者との神経戦。それにしても、モリーニョの顔つきが少し変化したと感じた。モリーニョは好きではないが、レアルやインテル、マンUを率いてた頃の、(ぼくたちがメディアで見た)彼の横柄で自信満々の感じが和らいだようにも感じだ。前回、モリーニョに悪態をついたが、やっとポルト時代の初心を思い出したか、もう少し見ていこう。エリクセンが移籍してからが腕の見せ所だろう(エリクセンはいないに等しいが)。エメリは仕方ない。後任がアルテタ。なんと言ったらいいか。リュングベリな感じかもしれないとちょっと不安だ。エヴァートンも気にな...

ラグビーW杯、そしてアーセナル、スパーズ、特にリーズ

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 フットボールが1番だが、ラグビーも好きだ。テレビでだが、結構見てきた。そのラグビーのW杯が終わった。楽しい1ヶ月と2週間だった。そのせいでフットボールのことを書く余裕がなかった(試合はみていたが)。ラグビーについても、素人として書きたいことは数多くある。いつもと同じような感想になってしまうが、大会を総括するまともなメディアをまだ見ていない。日本代表を登場させ、同じようなことを言わせるワイドショウ的番組や記事ばかり。いつものことながら、ガッカリする。なので、BBCスポーツの記事をよく読んでいた(時間がかかったが)。日本を賞賛する記事も少なくなかった。ただ、ヨーロッパの日本礼讃には、少しだけ注意する方がいい。マルコ・ポーロの「黄金伝説」以来の「日本幻想」があるのだろう。ただし、これはぼくの経験上の感想。アジアで成長した近代国家日本を讃えることで、ヨーロッパ近代がアジアを意識し、世界の中心にいるんだという意識は現在もしぶとく続いているのではないか。それを間に受けて、イギリスなどの新聞記事を短く切り取り、海外のメディアの日本礼讃だけを大きく扱う日本メディアの記事は、選手をワイドショウ的に扱うのと大した差がない。日本サッカー選手の取り上げ方と同じだ。 日本ラグビー、選手の多様性を持つ日本ラグビーがティア1に近づいたことは間違いない。ここに住むものとしてもちろん嬉しい。ただし、「近づいた」だけだ。こんなことはラグビー協会も選手もわかっているだろう。南半球のラガーマンを日本の実業団チームに入れるだけでなく、サッカーのように、多くのラガーマンが世界の強豪チームに入団するようになってほしい。さらに妄想を膨らますと、理想でもあるけど、姫野和樹選手が、イングランド のプレミアシップのチーム入る、あるいはぼくの好みだと、フランスのトップ14のスタッド・フランセに入団し、なおかつフランス代表としてW杯に出場してくれたら最高だ。いつも書くことだが、世界は人が動いている。日本のスポーツ選手・関係者も動いてほしい。そうした動きをしている日本人も少なくないだろう。日本のサッカー選手が世界中にいることは前に書いた。ラグビー選手もそうなってほしい。こうして新しい日本と世界が作られてくると考えるからだ。 ついラグビーの話から書き始めてしまったが、フットボールもやっと本当の季節がやってき...

オリパラ狂想曲と「個」の自覚

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ブログを書く時間がなかなか取れず、投稿も時間があくようになてきた。フットボールだけでなく、ラグビーW杯を始め、観たいスポーツの試合が多いのだ。そうなると、試合後のニュースもチェックしたくなる。自分のやることもあるし、うまく時間が取れない。数行のツイイッターとかだったら毎日でも書けるが、この長めのブログは時間もかかる。こんな言い訳(グチ)はどうでもいいとして、フットボールの季節が本格化し、各国リーグそして来年のユーロの予選もいよいよ熱を帯びてくる、ブログを少し犠牲にしないといけなくなるのだ。 ブログを書かなかった1ヶ月あまり、気になっていたのは来年のオリパラをひかえてのメディア。すでにお祭り騒ぎし始めていることだ。前回の東京オリンピックに熱狂したぼくなんかには、どこか胡散臭さを感じてしまう。何よりも、全てが「日本頑張れ!という」日本美化運動(ナショナリズム)に向かっている気がするからだ。2020のオリパラは「日本の心や社会の素晴らしさを世界に示す」ことが目的であるかのように。そのために「お・も・て・な・し」。ぼくのようなねじれた者には少し気持ち悪い。来年のオリンピックを外国でテレビ観戦できたら少しは素直になれるかもしれない。もちろん外国でも日本とそれほど変わらず、そのメディアは自国のチームの話題が多いのは同じだろう。 ただ、フットボールではなくラグビーのW杯をフランスのパリでテレビ観戦した時(ほぼ全試合を見てしまった)、メディアやラグビーファンの反応が少し違うことに気づいた。派手な見出しや自国チームへの応援記事等々は同じだが、リアリズムに徹した試合レポート、さらに広い政治・文化的視点からの各国ラグビーの分析記事などがきちっとあったことだ。2011年のニュージーランドでのラグビーW杯の時である。フランスが奇跡的に決勝まで行き着いた大会だったので、フランス国民は熱狂していたし、メディアの熱の入れ方も大変だったが、といって、日本のメディアの報道の仕方とはどこか違ったのだ。まあ、ラグビーを知っているということだし、素人の芸能人が中継に出てくることもない。 オリンピックやメジャー・スポーツのW杯は、どこの国でもお祭りだ。でも、スポーツのお祭りだということは誰もがわかっている、そんな感じだ。熱狂の中にも冷静さがあるということだ。来年のオリパラのメディア協奏曲は、日本と...

極私的フットボーラー列伝2

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やっとフットボールの季節が始まった。リーズ・ユナイテッドが昨年と同じようにスタートダッシュしているので(このことが不安だが)地元新聞ヨークシャー・イヴニング・ポストとリーズのオフィシャルサイトを読むのが日課になっている。久保、香川、富安といった選手の話題が相変わらずサッカー関連のメディアを賑わせているが、繰り返すが、もうやめようよ。日本人サッカー選手の質が上がった?確かにそうだろう。でも、移籍金額は?実際のところは?そこを意識しないと本当のことはわからない。現在の日本ので自国持ち上げは(サッカーだけでなくすべてにわたって)かなり危険だと思っている。ソフトなナショナリズムはハードなそれに変わる。そんなことを考えながら、前に書いた列伝の第2弾を書くことにした。ぼくの脳内に刻まれたフットボーラーたちの話だ。前に5人まで紹介したので、6人目から。 No6:ロナウジーニョ これはもうぼくだけでなく、誰もが歴史に残る選手だと思っているだろう。ぼくがロナウジーニョをピッチで見たのは3回しかないのだが、プレーはもちろんのこと、観客へのサービス精神にも感激した。3回のうちで一番だったのは、ずいぶん昔、セビージャでのこと。バルサとベティスの試合を息子と見にいった時のことだ。実は降雨によってピッチが水浸しになり、試合中となってしまったのだが、僕たちは安い席に長く座って、ひょっとしたら(雨は止んでいたので)試合があるのではと期待し待っていたのだ。そして諦めかけた時、ピッチの端にロナウジーニョが現れ、水の溜まったピッチにダイビングをし始めたのだ。そのパフォーマンスに残った観客は大拍手。本当に観客を楽しませようとする男なのだ。ネイマールとは大違い!愛されるわけだ。PSG時代もそうだった。負け試合なのにロナウジーニョだけが最後までピッチで観客に手を振ってくれた。サポーターを楽しませること、サポーターの側に立ってプレーと振る舞いをするのがロナウジーニョだったのだ。クラブやディスコが大好きなことと、フットボールはロナウジーニョにとって同じことなのかもしれないと思った。ぼくにとってはブラジル人で一番印象に残る選手だ。 No7:J.J.オコチャ 知る人ぞ知る(誰もが知る?)、華麗なステップで中盤を支配するナイジェリア出身の不世出のMF。あのカヌー擁するナイジェリアの「スパーイーグル」(アト...

アフリカのフットボール少年たちの悲劇

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2019年の7月も終わった。やっとフットボールのシーズンが開幕。プレシーズンの親善マッチも見ることができるようになったが、あまり面白くない。準備体操なのだ。ブログを3週間近く書かなかったのも、このダレた季節と暑さのせいだ。ただ、リーズがマンUとの親善マッチでのぼろ負けは不安だ。来年、昇格できるのかな〜。ビエルサの悲劇は続くのか。フットボールの殉教者にならないようにと願っている。初戦はともかく勝利した。 今回は、ちょっとややこしいことを書いてみる。「ややこしい」というのは、正確に事態を書こうと思うと本1冊分くらいの量になってしまうので、ブログではかなりの部分をはしょることになり、問題が短略化してしまう、そうした「ややこしさ」だ。誤解を与えることにもなりかねない。だったら書かなきゃいいと叱られるが、「アフリカのフットボール少年たちの悲劇」はフットボール界にとって大きな問題なのに、日本で報道されることがほとんどない。唯一ルモンド・ディプロマティークの日本語ウェブ版が、 「 不安定に耐えるか、外国へ逃げるか 。アフリカの悲惨なサッカー事情」(コートジボワールの現状についてのレポート)という記事を配信しているくらいか(もっとあるかもしれない)。ともかく、 現在のフットボール界では重要事なので書くことにした。日本サッカー界が成熟するには、こうした問題も意識する必要があると思う。フットボールは世界の現実であり、そこには悲劇もあるのだということを。サッカー好きの人には頭においていてほしいと願っている。 特にアフリカの若い(子供も多い)フットボーラーたちの悲劇については、例えばフランスでは、10年以上前からアフリカのフットボーラーの奴隷貿易としてメディアで報道されてきたが、10年前に比べれば記事が少し減ってきた印象があった。しかし昨年、バルテレミ・ガイヤールとクリストフ・グレーズ(ぼく購読しているSO FOOTの記者)による『アフリカのフットボーラーと近代奴隷システム』(Magique Système: l'esclavage moderne des footballeurs africains, Marabout, 2018))という本が出版され反響を呼び、再びアフリカの若い選手たちの悲惨な現実が新聞や雑誌で取り上げられるようになったようだ(ネットでの記事を見る限...

サッカーと「帝国主義」

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1週間ほど留守をしていたせいで、ブログを書く時間がなかった。その間に、コパはブラジルの優勝で終わり、女子W杯はアメリカ。そして、AFCON(アフリカネーションズ・カップ)はノックアウト・ラウンドに。それぞれで「その後のリアクション」報道を流し続けている。日本ではレアル久保のことが相変わらず。どうしてこうも話題にするのか。ぼくには理解不能だ。コパのメッシ騒動。これもフットボール・ジャーナリズムのためのもので、ぼくにはどうでもいい。海外にも芸能界的ジャーナリズムはあるのだ。この1週間の話題で一番印象に残ったのは、AFCONでのマダガスカルの躍進だ。感激した。 と、日記のように書き出したが、今回のテーマは大げさなタイトルを付けてみた。サッカー選手がよく使う、それだけではなく、日本で多くの人が使う「世界」あるいは「世界的」という言葉について少し考えるために。「世界へ挑戦」はサッカー選手が海外に移籍時によく使われる言葉だが、他のジャンルでもよくこのフレーズを聞く。ある有名な現代アートの作家は「ぼくは世界で戦っている」なんて言っていた。日本のメディアは、とりわけ「世界」が好きだ。数えればきりがない。昨今の久保フィーバーの言説もそんな調子にあふれている。でも、「世界」とか「世界的」って何なんだろう。もちろん、英語でも仏語でも使われている。ただ、「ザ・ワールド」「ル・モンド」(高級日刊紙の名前にもなっている)での「世界」と、日本での「世界」の意味が微妙なところでずれていると感じる。 例えば、サッカー選手が「世界に挑戦したい」というその世界は、結局、欧州の5大リーグ+数リーグのことで、タイのクラブに移籍することは「世界挑戦」とならないだろう。日本人にとって「世界」とは(もちろん、国連的な「世界」を意味することもあるが)、西洋である場合が多い。サッカーはほとんどそれだ。地球上で一番行われているスポーツのことなのに。 「世界」という言葉に含まれる意味は国や地域で違うだろう。MLBは年間の王者決定戦に「ワールド・シリーズ」と「世界」を使っているが、これも特殊だ。アメリカ政治の伝統的な孤立主義(モンロー主義)からきているのだろう(その意味で、トランプは極端な伝統主義者である。アメリカの白人層に浸透していないフットボールに興味がないのではないか)。「世界」の含意は世界中でいろいろあるが...

極私的フットボーラー列伝1

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 コパ、女子W杯、CANが佳境に入ってきた。ウルグアイが負けてしまった。来期からはどこのチームもVAR戦略を考えてくるだろう。中島翔哉がポルトガル帰還も目が離せない。といって、日々の話題が目的ではないので、今回からごく個人的な趣味を前面に出して(これまでもそうだったが)、ぼくの頭に刻印された選手(フットボーラー)たちのことを綴ってみよう。その1回目。気の向いた時に投稿したいと思う。ただし、これまで名前を出した、テュラムなどは除く。年代史に沿って書いていく。これもフットボールのひとつの歴史だと思って。 1  風間俊(青志高校サッカー部) フットボールに興味を持たせてくれた、石井ひさみの名作漫画『くたばれ!!涙くん』(1969年連載開始)の主人公。フォワード。監督鬼子の娘小百合への恋心と、ライバルたちに勝利しようとして放つ、死をかけたシュートで命を落としてしまうという、強烈なロマンティズムな漫画。今でも泣けたのを覚えている。もちろん、現実にはこんな選手もシュートも出てこなかったが。このことに触れたブログもある。https://ameblo.jp/petit-spfairy/entry-11852504840.html 2 杉山隆一(日本代表、三菱重工) 左ウィング。日本サッカー創成期(メキシコ・オリンピックの時代)の快速左ウィング。その頃、ぼくの住んでいた愛知県ではNHKしかサッカー放送がなかったと記憶するが、白黒画面に映る左サイドを猛スピードでドリブルする、杉山隆一には感動した。そのスピードは現在と比較してどうなのかはわからない。現在の伊東純也の方が速いとは思うが、今と昔を競技レベルで「比較する」ことには大した意味はない。比較できないからだ。ペレとメッシを比較できないように。ともかく、サッカーに興味を持ち始めた頃に一番好きな空想のプレーヤーだったのだ。伊東純也もそんな印象深い選手になってほしい。 3 ティガナ( ジャン)( フランス代表、FCGB、OM) マリ出身のフランスのMF。皇帝プラティニとともにユーロ1984で優勝。細身でしなやかにピッチを駆けめぐるティガナの姿と、マラケシの食堂のテレビで見た、そのユーロの試合(どことの対戦か忘れた)での「アレ!ティガナ!」と熱狂するフランス人、モロッコ人(ぼくも家族も叫んでいた)の掛け声は耳の奥に残る。...

雑誌『SO FOOT』

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 5月初めのブログで、フランスのフットボール月刊誌『SO FOOT』についてちょっと書いたが、数日前にやっと送られてきた。ぼくの決済がきちんとしてなかったせいだが、再注文したら1週間ほどで到着した。今回は、この月刊誌のことを書いてみよう。実は4ー5年前にも1年間の定期購読をしたのだが、その時は仕事をしていたので時間が足りず、しっかり目を通せなかったので1年限りの購読となった。ぼくがカヴァーニのファンなのは、そこに掲載されていた彼のインタビューを読んだことにもある。前回も書いたが、フランスのスポーツ記事は新聞でも日本に比べれば長い。ましてや雑誌となるといっそうだ。カヴァーニのインタビューは8ページにもわたる(写真を含めて)。普通の感覚のフットボール雑誌にはない視点からのインタビューが新鮮だったことも覚えている。他にも面白い色々な記事があった。このブログのネタにしようと(©️に触れない程度の)、時間ができたので再度定期購読を始めたのだ。 届いた6月号は、コパ、アフリカ・ネーションッズカップ、女子W杯の季節のためだろう、その関係レポートがメインで、選手や元監督へのインタビュー、さまざまなトピックスなどで構成されている。インタビュー記事が面白い。女子ブラジル代表の「フォルミガ」、PGSのカメルーン代表 ジャン=エリック・マキシム・シュポ=モティング、元アルゼンチン代表の監督、エル・ココことアルフィオ・バシーレ(アメリカでの悲惨なW杯での監督が印象的だ)、そして フランス女子フットボールのパイオニア、コリンンヌ・ディアクルなど。 加えて、ルポルタージュ。エヴァートンのリシャーリソン (移籍する可能性がある) 、カタールのフットボールの現在、SF小説家でフットボール・ファンのアラン・ダマイーゾのフット資本主義論、コートジボワール低迷の要因となっているというフットボール協会会長のシディー・ディアロを「墓掘り人・破壊者」として描くインサイド・レポートなどなど、かなり幅広い。細かく読むのはかなり時間がかかる。辞書がいるのだ。月刊誌なので、試合レポートがないのだろう。ただし、前の月のフットボール関連のユーモアたっぷりの月報はある。 真っ先に読んだのは、「結局、失ったのはマルセロか?」の見出しでの、昇格できなかったマルセロ・ビエルサを皮肉った1ぺージのコラムからである(フ...

サッカー・メディアの言葉

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例年なら6月は、フットボールのお休み期間。試合がないと、1週間の生活リズムも変わってしまう。でも今年2019年は、その暇な月にフットボールが目白押し。トゥーロン、U20、女子W杯、コパも始まった。加えて、Jリーグも見るようになった(ハイライト動画だけど)。これまでそんなに注目してこなかったのに、このブログを始めてから結構見ている。それから久保フィーバー。信じられないというか・・・。まあ、少し先まで待ってみようというのが正直なところ。フィーバーを作っているのはもちろん日本のメディア。はしゃぎすぎで、もうリーガの中心選手になったような雰囲気。逆から考えれば、そうした選手がいなかったことと、そうした選手の登場を望んでいるためで、相変わらず、向こうのちょっとした言葉使いを大げさに見出しで使う。例えば、バルサのビダルが 「レアル・マドリーが獲得するような本当に質の高い選手だ。」と発言したことを中心に、最後は 「近い将来、ラ・リーガでも対戦するであろう日本の18歳のホープに敬意を示したビダル。」と締める(sport.es)。コパのメディア・カンファレンスでの発言ということだが、記事を書いた記者が直接聞いていたものなのか、通訳してもらったものなのか、スペイン語のニュアンスは伝わってこない。最初に記事の方向は決まっていると見えるのだ。リーガで活躍するだろう選手という前提があり、発言を日本の文脈に合わせてまとめる。その表現法が透けて見える。日本のサッカーメディアの未熟さではないのか。もちろん、海外にも似たような記事はある。ただ、別にきちっと現実を見る記事も多い。 スペイン語のできるセルジオ越後をレポーターとして送り込んで欲しかった。 こんなことを書く予定ではなかった。メディアのフェイクめいた記事を見るとつい書きたくなるので書いてしまったが、カタールとパラグアイの一戦を見れば、南米のフットボール界がアジアをちょっと小馬鹿にしている感じがした(カタールの最初のシュートは見事だったが)。日本とチリもそうだろう。負けようが勝とうが、日本メディアでは久保が活躍すればよいのかもしれない。とすれば、森保監督は、チームで戦うなどと言わずに、露骨に久保中心のチームにしたらどうなのか。なんせ、レアルの久保なのだ。何とかやってくれるだろう。そしてぼろ負けしたら、どのような記事になるのか。大体は想像が...

移籍、あるいは海外でプレーするすること1

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CLはやっぱり・・・。細かいところはわからないが、プロフェッショナルな試合だったと感じた。面白くなかったという人も多いが、チャンピオンになるための練りに練った戦術、それを理解しプレーする選手たち。トップレベルの本当の大一番はそういうことだろうね。そこでトッテナムがちょっとだけ負けていたのかもしれないと思う。でも、高度な試合だった。惜しむらくは、ルーカスとジョレンテの投入が遅かった気もするけど。こんなマッチレポートを書くのが目的ではないので、別の話題にしよう。 今回はサッカー選手(サッカーと書くときは日本のことを想定する)たちの移籍について。と言っても、メルカート的な話ではなく、移籍って何かを考えてみたい、という意味での移籍の話。 フットボールのレギュラー・シーズンが終わったあとは、どこでも移籍の話。メディアにとってはこれしか書くことないからだろう。シーズン中のガセ的ニュースは、真夏に向かって信憑性が増してくる。ぼくの閲覧している、イギリスとフランスのサイトで、日本のサッカー選手が大きな話題になることはほとんどない。ビッグクラブに行って欲しいというぼくたちの願望が、向こうの1行記事をトップ記事のように扱う日本のメディア。といって、今のところ日本選手のビッグな移籍ディールはない。 こんな季節、移籍というそのこと自体にも興味が湧いてくる。移籍というと、選手のステップアップのために欧州のクラブに渡ることが中心になっているが、移籍の問題はずっと広くて深い。グローバルな21世紀の世界では、金、情報、知識が飛び交うだけでなく、人も動いている。ひとつの国に閉じていることなどできないのだ。もちろん、国や地域によって程度の差はあるが、金融と情報の資本主義で回転するこの世紀は、人の移動の世紀でもある。移籍を、この移動という観点から見たいのだ。実際、この閉鎖的な日本でも、人は動いている。高校卒業後、アメリカや欧州の大学に進学する若者も少なくない(その量的調査を探したが見つからないので、個人的経験からの推測だが)し、国内の就活ではなく、海外へと仕事を求める人たちもいる(このところの日本の就職率の高さで、海外志向は減ったかもしれない)。実は、サッカー選手も同じなのだ。メディアで報じられることは少ないが、日本人選手(男子)は世界中でフットボールをやっている。このことがわかったのは、移籍...

サッカーメディアについて2

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もうすぐチャンピオンリーグの決勝。ワクワクしてるのは誰もが同じだろう。ぼくとしてはトッテナムに勝ってほしいのだが、客観的にはリヴァプールだろうな〜。フットボールファンとしては、そんな5月末なのだが、海外スポーツナビは、このところポーランドでのU20代表と、久保建英の日本代表入りのニュースがずらり。U20の世界選手権については、あまりにも情報過多なので、出場国するイタリアとフランスのフットボール・サイトも見てみたが、日本ほどではない。欧州のことを考えれば普通のことだが。 日本のサッカー界とメディアはスターを欲しがっているんだろう(ひねくれたぼくも、そうしたところはある)。こうした昔からの日本の状況は、選手にとっては少し可愛そうな気がする。バルサでもレアルでも下部チームには多くの「久保」くんがいるに違いない。そこを通り抜けて、トップチーム、そして11人に定着することがどれほど大変なのか、そんなことも書いて欲しい。誰もが分かっていても当たり前のことなので、ニュースにならないのかもしれない。メディアの宿命か。ただ、当たり前のことを伝えることも大切ではないのか。これまで、日本にも「天才少年」はかなりいた。久保建英くらいの若手選手は、リーズ・ユナイテッドのU23にも結構いる。 さて、今回は前回の続きで、日本のサッカーメディアについてで、テレビのことを書くことにする。若い人は、スマホになっているかもしれないが、ぼくのような年代は、やっぱりテレビ。といっても、あまり書くことはない。サッカー中継に出てくる解説者について書きたいことはあるが、それはまた別の問題。 それより、このブログで書きたいことのひとつ、スポーツメディアの芸能界化では、日本のテレビが先頭を行っている。とにかく控えめにしてほしい。テレビに望むのはそれだけだ。素人のタレント芸能人に解説やコメントをされても面白くない。ああ、このタレントがフットボールファンなのかと思うだけだ。ちょっとは嬉しいけど、それだけ。また、ゲスト出演する選手や元選手も、タレント化させられ笑いを取ろうとする。テレビで顔を知られて、引退後メディアで重宝されようとしているのか。ただ、テレビだけが悪いのではなく、芸能界化した今の日本の文化土壌のせいである。ぼくたち一人一人の責任なのだ(実際、ぼく自身ちょっと毒されている。欧州のメディアをチェックする...

サッカーメディアについて1

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 リーズがplay-offで敗退。今年に入ってからの不調を心配してたのだが、それが現実に。どうしてなんだろう?もちろんスカッドのレベルの問題があるのだろう。でも素人にはわからない。ビエルサ・ファンとしては、一度は歓喜の栄光を味わってほしいと思うばかりだ。チャンピオンシップの昇格3番目はアストンヴィラでお願いしたい。ともかく、ビエルサの来年度はまだ決まっていないとのこと。この1年あまり彼のおかげでチャンピオンシップのことを少し知ることができてよかった。ただ放送がないので(ブックメーカーを使えば見ることができるが、登録するとあまりにも多くの「お知らせ」来るだろうから鬱陶しいのでやめた)、リーズの公式サイトのハイライト動画しか観れてない。どこかチャンピオンシップを放送してくれないかなと思う。ベルギーやオランダ、トルコより面白いと思う。日本人選手中心の日本のメディアなので、仕方がないことだが。 さて、このブログも5回目。反応はゼロだが、それを大して期待しているわけではない。ぼくのフットボール思考を言葉にするための訓練の場なのだ、と見栄を切っておいて、今回はこのブログのテーマの一つ、日本のサッカーメディアについて。 その前にもう少し広げて、日本のスポーツメディアのことから。極端に言えば、日本にスポーツメディアはないと思っている。日本的スポーツメディアはある。独特なものだ。もし、サッカーがフットボールを目指すなら、メディアの体質も変えない限り、サッカー日本代表もW杯での活躍は近づいてこないだろう。 その典型は、スポーツ新聞と言われるメディア。誰でも分かっていることだろうが、正確には野球(競馬も入るかな)を中核に芸能ネタを加えた情報誌(少し前まではエロネタも柱のひとつだったが、さすがこれは数紙に残るだけ)である。サッカー担当記者もいるのだろうが、少し熱心なのは「ニッカン」と「報知」だけ。ただ、試合結果の情報は報道しているが、試合のしっかりした分析はほとんどなし。「本誌解説者」などの名を持つ、元選手やライターたちが軽くコメントするくらいだ。ぼくも喫茶店で読むが、海外のことは当然、日本選手中心。欧州でも自国選手報道はあるが、日本ほどのことはない(といってもフランスとイギリスの場合しか知らないが)。それも、基本は日本選手の動きを大袈裟にピックアップするばかり(メッシや...

映画の中のフットボール

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18−19シーズンのCL準決勝2試合はすごかった。プレミア2チームへの賞賛報道があふれているので、チェックしすぎて疲れた。フットボールの面白さを堪能させてくれた。プレミアファンなのでいっそうだ。祝杯をあげたかったが、daznの見逃し配信で午前中に見るので、赤ワインを一杯飲んだ「感じ」だけ。6月の決勝はどうなるのか。ぼくとしてはスパーズを応援したい。なにせ、ポチェッティーノはビエルサの愛弟子なのだ。 さて、この3回目はタイトル通りに映画とフットボールのことを書こうと思う。といっても、記録的映画でもヒーローストーリーでもない。フットボールが映画の味付けになっている、そうした映画についてだ。 最初に思い出すのは、旧ユーゴスラビア、サラエボ出身の、稀代の名監督エミール・クストリッツァの名作『パパは出張中』と『黒猫・白猫』である。もちろん、ドキュメンタリー『マラドーナ』も。ただこれはサッカー映画なので外す。二つの映画は、社会主義時代のこのバルカンの大国がフットボールの国だったことが随所に暗示されている。『パパは出張中』の冒頭、出張と言いながら愛人に会いに行った帰りの列車の中(こんな出だしだったと思うが、見たのが大昔、1986年のことなので間違っているかもしれない)、フットボールの中継ラジオ放送が流れているし、他にもそんな場面がある。日本で野球中継がドラマに流れるといったことだが、旧ユーゴスラビア(分裂した各国にも)に愛着があるので、ラジオのシーンが印象的だったのだ。バルカン半島の日常生活はいつもフットボールがあるんだなーと改めて思ったのだった。2番目の作品はドタバタ喜劇の傑作『黒猫・白猫』。そこにもフットボールの場面が出てきた(ように思う)。これも昔の記憶なので、もう一度、DVDを借りて確かめてみよう。バルカン半島諸国だけではないが、欧州の日常にはどこでもフットボールがある。映画はそうした情景をさりげなく挟むし、その情景を映画の主題とすることもある。クストリッツァの映画がそうなのだ。そうそう、エミール・クストリッツァ自身にどこかフットボール的な情熱があるようにも感じてきた。彼はロックバンドも立ち上げたのだが、そのパンク的バンド、「ノー・スモーキング・オーケストラ」にはフットボール的リズムと情熱があるように感じた。 次はイギリス。フットボールの母国は当然、日常にフット...

ぼくのフットボール情報源

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ブログを始める時に書いておきたかったことだが、ぼくがどうのようなものを見ているのか読んでいるのか、つまりどうしてフットボールの情報を得ているかについてである。いわば、参考文献ですね。 基本は欧州なので、映像はdazn。当たり前だよね。daznに加入する前は、スカパーとJSPORTSだった。今はほとんど見なくなってしまった。WOWOWでリーガを見るがこれも簡便性でdaznにかなわない。W杯やアジア杯はNHKになる。 J1やJ2はdaznのハイライトで、日本代表はNHKと民放も見るが、どちらも目線が日本中心なのが物足りない。日本賛歌のソフトなナショナリズムがちょっと鬱陶しいからである。こうしたテレビでの日本の解説者については、言いたいことが山ほどあるので、また細かく書くことにしよう。 次にネット。海外サッカー・スポーツナビをチェックしてるが、日本人選手中心の情報が多いのは仕方がないとして、変な持ち上げ方をするのが気になる。現地の記事の一部を拡大して伝えることも少なくない。気になるニュースについては正確に知るために、現地の新聞やフットボール・サイトをチェックする。想像していた通りになるのだが、これも仕方ないことか。 ぼくの場合、関心が欧州フットボールが中心なので、チェックするのはイギリスのBBCスポーツと、この1年はリーズ・ユナイテッドのことをYorkshire Evening Postとリーズの公式サイトで見てきた。最初のコラムで書いたマルセロ・ビエルサとチームの情報を知るためだ。BBCスポーツには「ゴッシプ」という欄があって、そこはよくチェックしている。選手や監督の移籍などの情報だが、ネタ元(イギリスのスポーツ新聞)が示されているので、興味ある場合はそこをチェックする。 フランスではYahooスポーツ。有名なスポーツ紙「レキップ」のサイトも見るが全文読もうとするとお金が必要なので、Yahooが中心になってしまう。大きな大会や試合では日刊紙メジャーのLiberationのサイトもチェックする。さすがに読ませる。また、久しぶりにSO FOOTというフランスのフットボールマガジンを購読することにした。ぼくには、一番リベラルで厚みのあるマガジンである。ネットもあるが、こちらは試合の解説や戦評、移籍等々、普通のスポーツ雑誌の感じ。 イタリアは、ユーベのスキャンダルの...