残響ービエルサ・リーズPL初戦

9月12日、リーズの初戦、対リヴァプール。感動した。想像をはるかに超えていた。ビエルサイズムが浸透し、選手やサポートしてきた人達の努力と情熱が花開いたのだと思った。それほど細かく覚えてないが、昔のボイアー、キューウェル、ヴィデュカの時代のリーズも少し知っている。ただ、ビエルサ・リーズは、それとは違った。何て言うのだろう。戦術と情熱・知性が噛み合い、世界トップクラスのオーケストラの演奏、それもロマン派のアップテンポな交響曲を聴いているようだった。あのストラヴィンスキーのバイオリン協奏曲の第3楽章のように。よくぞここまでレベルアップしたと感激した。ハリソン、フリップス、エイリング、メリエ、コスタ、11人すべてに熱があった。その熱は絡み合い、ピッチが大きな火の玉となる。去年まであんなにゴールをふかしていたバンフォードもファン・ファイクのミスを逃さない。負けたけど勝った!実際は引き分けだ。前半始めのコッホのハンドは、何人もが言うように、今季のハンド・ルールでは、決定的なハンドではなくVARに委ねるもの、それなのになのに!ともかく、こんな試合を見るのは久しぶりだ。地元のサポーターたちの興奮度はどんなものだっただろう(その映像を見たいと思ったが見つからなかった)。ビエルサにとっても満足のいく試合だったのではないか。 
その試合の余韻は数日間続いた。その間、反響はどうだったのかを知りたいと思い、多くのメディアの電子版をかなりチェックした。称賛記事が溢れていた。イギリスはもちろん、フランス、イタリア、スペインなどでも同じ。世界のフットボール・ファンが感動していた。そうした試合だったのだ。「サッカー」の国日本では、少し情報が遅いし数も少ない。「南野不出場」にウエートが置かれていた。ア〜ア〜。あんなテンションとスピードのある試合には南野は適応できないだろう。「あの」久保だって。サッカーとフットボールはまだまだ遠い。

12日土曜日の残響が身体に響いている時に、カップ戦ではハル・シティーに負けてしまった。これでプレミアに集中できるだろうとサポーターたちは問題にしてないが、ある意味、選手層の薄さも見えてきた。今夏の移籍期間でリーズが積極的に動いているのは、このためもあるのかと思う。もちろん金満クラブのように大金を払えないので、チーム財政とチームの戦略プランにあった選手を連れてくることは必要だろう。素人考えだがコッホはよい選択だったと思う。ビエルサの下でプレーできるのは決してマイナスにはならない。それ以上に、フットボールが何なのかを体感し、理解できることは、選手にとって大きな財産になるのではないか。そうそうPKを献上してしまったロドリゴも大丈夫だと思う。偉そうでないところがいい(練習風景から感じたことだが)。ビエルサからして、そうした人間なのだ。

こうして1週間があっという間に過ぎた。もうプレミア第2戦。相手はフルハム。あんな試合をした後、どうなるのか。期待と、逆に不安も、でも土曜の夜(今夜になってしまった)が待ち遠しい。観客のいないエランド・ロードでどうなるのか。スタジアムはビエルサ・リーズにとってすごく重要なファクターだから。

ビエルサ・リーズは試合での勝利自体が究極の目標ではない。チームを支えるすべてが幸福感を得ることなのではないか。そのことはアマゾンのドキュメント「ホームに連れて行って」(Take Us Home)を見ればわかる。選手、サポーター、ファン、チームに関わっているすべての「人と物事」。切符切りやバーガー売りのおじさん、それだけでなくスタジアム自体もリーズを成り立たせているファクターなのだ。ビエルサがこんなふうに考えているのだろうと考えると、その考え(思想と言ってもいい)は、現在の社会文化思想の主流になりつつあるアクター・ネットワーク理論(ANT)の現実化のようにも思えてくる。単純化してしまえば、ある社会を構成するのは、人間と物事の多様なネットワークだと考える理論だ。また、多様な人と物事の間に価値的序列を設定しない。だから何だと思われるかもしれないが、ビエルサの戦術マニア性もそのひとつのファクター(アクターと呼ぶ)なのだ。ANTに触れようなんて思わなかったが、つい思い出してしまったのは、あのリヴァプールとの開幕戦の熱だったからだ。今夜もビールを片手にビエルサ・リーズの熱を感じたい!





 

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