投稿

5月, 2019の投稿を表示しています

サッカーメディアについて2

イメージ
もうすぐチャンピオンリーグの決勝。ワクワクしてるのは誰もが同じだろう。ぼくとしてはトッテナムに勝ってほしいのだが、客観的にはリヴァプールだろうな〜。フットボールファンとしては、そんな5月末なのだが、海外スポーツナビは、このところポーランドでのU20代表と、久保建英の日本代表入りのニュースがずらり。U20の世界選手権については、あまりにも情報過多なので、出場国するイタリアとフランスのフットボール・サイトも見てみたが、日本ほどではない。欧州のことを考えれば普通のことだが。 日本のサッカー界とメディアはスターを欲しがっているんだろう(ひねくれたぼくも、そうしたところはある)。こうした昔からの日本の状況は、選手にとっては少し可愛そうな気がする。バルサでもレアルでも下部チームには多くの「久保」くんがいるに違いない。そこを通り抜けて、トップチーム、そして11人に定着することがどれほど大変なのか、そんなことも書いて欲しい。誰もが分かっていても当たり前のことなので、ニュースにならないのかもしれない。メディアの宿命か。ただ、当たり前のことを伝えることも大切ではないのか。これまで、日本にも「天才少年」はかなりいた。久保建英くらいの若手選手は、リーズ・ユナイテッドのU23にも結構いる。 さて、今回は前回の続きで、日本のサッカーメディアについてで、テレビのことを書くことにする。若い人は、スマホになっているかもしれないが、ぼくのような年代は、やっぱりテレビ。といっても、あまり書くことはない。サッカー中継に出てくる解説者について書きたいことはあるが、それはまた別の問題。 それより、このブログで書きたいことのひとつ、スポーツメディアの芸能界化では、日本のテレビが先頭を行っている。とにかく控えめにしてほしい。テレビに望むのはそれだけだ。素人のタレント芸能人に解説やコメントをされても面白くない。ああ、このタレントがフットボールファンなのかと思うだけだ。ちょっとは嬉しいけど、それだけ。また、ゲスト出演する選手や元選手も、タレント化させられ笑いを取ろうとする。テレビで顔を知られて、引退後メディアで重宝されようとしているのか。ただ、テレビだけが悪いのではなく、芸能界化した今の日本の文化土壌のせいである。ぼくたち一人一人の責任なのだ(実際、ぼく自身ちょっと毒されている。欧州のメディアをチェックする

サッカーメディアについて1

イメージ
 リーズがplay-offで敗退。今年に入ってからの不調を心配してたのだが、それが現実に。どうしてなんだろう?もちろんスカッドのレベルの問題があるのだろう。でも素人にはわからない。ビエルサ・ファンとしては、一度は歓喜の栄光を味わってほしいと思うばかりだ。チャンピオンシップの昇格3番目はアストンヴィラでお願いしたい。ともかく、ビエルサの来年度はまだ決まっていないとのこと。この1年あまり彼のおかげでチャンピオンシップのことを少し知ることができてよかった。ただ放送がないので(ブックメーカーを使えば見ることができるが、登録するとあまりにも多くの「お知らせ」来るだろうから鬱陶しいのでやめた)、リーズの公式サイトのハイライト動画しか観れてない。どこかチャンピオンシップを放送してくれないかなと思う。ベルギーやオランダ、トルコより面白いと思う。日本人選手中心の日本のメディアなので、仕方がないことだが。 さて、このブログも5回目。反応はゼロだが、それを大して期待しているわけではない。ぼくのフットボール思考を言葉にするための訓練の場なのだ、と見栄を切っておいて、今回はこのブログのテーマの一つ、日本のサッカーメディアについて。 その前にもう少し広げて、日本のスポーツメディアのことから。極端に言えば、日本にスポーツメディアはないと思っている。日本的スポーツメディアはある。独特なものだ。もし、サッカーがフットボールを目指すなら、メディアの体質も変えない限り、サッカー日本代表もW杯での活躍は近づいてこないだろう。 その典型は、スポーツ新聞と言われるメディア。誰でも分かっていることだろうが、正確には野球(競馬も入るかな)を中核に芸能ネタを加えた情報誌(少し前まではエロネタも柱のひとつだったが、さすがこれは数紙に残るだけ)である。サッカー担当記者もいるのだろうが、少し熱心なのは「ニッカン」と「報知」だけ。ただ、試合結果の情報は報道しているが、試合のしっかりした分析はほとんどなし。「本誌解説者」などの名を持つ、元選手やライターたちが軽くコメントするくらいだ。ぼくも喫茶店で読むが、海外のことは当然、日本選手中心。欧州でも自国選手報道はあるが、日本ほどのことはない(といってもフランスとイギリスの場合しか知らないが)。それも、基本は日本選手の動きを大袈裟にピックアップするばかり(メッシやロナウド

映画の中のフットボール

イメージ
18−19シーズンのCL準決勝2試合はすごかった。プレミア2チームへの賞賛報道があふれているので、チェックしすぎて疲れた。フットボールの面白さを堪能させてくれた。プレミアファンなのでいっそうだ。祝杯をあげたかったが、daznの見逃し配信で午前中に見るので、赤ワインを一杯飲んだ「感じ」だけ。6月の決勝はどうなるのか。ぼくとしてはスパーズを応援したい。なにせ、ポチェッティーノはビエルサの愛弟子なのだ。 さて、この3回目はタイトル通りに映画とフットボールのことを書こうと思う。といっても、記録的映画でもヒーローストーリーでもない。フットボールが映画の味付けになっている、そうした映画についてだ。 最初に思い出すのは、旧ユーゴスラビア、サラエボ出身の、稀代の名監督エミール・クストリッツァの名作『パパは出張中』と『黒猫・白猫』である。もちろん、ドキュメンタリー『マラドーナ』も。ただこれはサッカー映画なので外す。二つの映画は、社会主義時代のこのバルカンの大国がフットボールの国だったことが随所に暗示されている。『パパは出張中』の冒頭、出張と言いながら愛人に会いに行った帰りの列車の中(こんな出だしだったと思うが、見たのが大昔、1986年のことなので間違っているかもしれない)、フットボールの中継ラジオ放送が流れているし、他にもそんな場面がある。日本で野球中継がドラマに流れるといったことだが、旧ユーゴスラビア(分裂した各国にも)に愛着があるので、ラジオのシーンが印象的だったのだ。バルカン半島の日常生活はいつもフットボールがあるんだなーと改めて思ったのだった。2番目の作品はドタバタ喜劇の傑作『黒猫・白猫』。そこにもフットボールの場面が出てきた(ように思う)。これも昔の記憶なので、もう一度、DVDを借りて確かめてみよう。バルカン半島諸国だけではないが、欧州の日常にはどこでもフットボールがある。映画はそうした情景をさりげなく挟むし、その情景を映画の主題とすることもある。クストリッツァの映画がそうなのだ。そうそう、エミール・クストリッツァ自身にどこかフットボール的な情熱があるようにも感じてきた。彼はロックバンドも立ち上げたのだが、そのパンク的バンド、「ノー・スモーキング・オーケストラ」にはフットボール的リズムと情熱があるように感じた。 次はイギリス。フットボールの母国は当然、日常にフット

ぼくのフットボール情報源

イメージ
ブログを始める時に書いておきたかったことだが、ぼくがどうのようなものを見ているのか読んでいるのか、つまりどうしてフットボールの情報を得ているかについてである。いわば、参考文献ですね。 基本は欧州なので、映像はdazn。当たり前だよね。daznに加入する前は、スカパーとJSPORTSだった。今はほとんど見なくなってしまった。WOWOWでリーガを見るがこれも簡便性でdaznにかなわない。W杯やアジア杯はNHKになる。 J1やJ2はdaznのハイライトで、日本代表はNHKと民放も見るが、どちらも目線が日本中心なのが物足りない。日本賛歌のソフトなナショナリズムがちょっと鬱陶しいからである。こうしたテレビでの日本の解説者については、言いたいことが山ほどあるので、また細かく書くことにしよう。 次にネット。海外サッカー・スポーツナビをチェックしてるが、日本人選手中心の情報が多いのは仕方がないとして、変な持ち上げ方をするのが気になる。現地の記事の一部を拡大して伝えることも少なくない。気になるニュースについては正確に知るために、現地の新聞やフットボール・サイトをチェックする。想像していた通りになるのだが、これも仕方ないことか。 ぼくの場合、関心が欧州フットボールが中心なので、チェックするのはイギリスのBBCスポーツと、この1年はリーズ・ユナイテッドのことをYorkshire Evening Postとリーズの公式サイトで見てきた。最初のコラムで書いたマルセロ・ビエルサとチームの情報を知るためだ。BBCスポーツには「ゴッシプ」という欄があって、そこはよくチェックしている。選手や監督の移籍などの情報だが、ネタ元(イギリスのスポーツ新聞)が示されているので、興味ある場合はそこをチェックする。 フランスではYahooスポーツ。有名なスポーツ紙「レキップ」のサイトも見るが全文読もうとするとお金が必要なので、Yahooが中心になってしまう。大きな大会や試合では日刊紙メジャーのLiberationのサイトもチェックする。さすがに読ませる。また、久しぶりにSO FOOTというフランスのフットボールマガジンを購読することにした。ぼくには、一番リベラルで厚みのあるマガジンである。ネットもあるが、こちらは試合の解説や戦評、移籍等々、普通のスポーツ雑誌の感じ。 イタリアは、ユーベのスキャンダルの