サッカーメディアについて2

もうすぐチャンピオンリーグの決勝。ワクワクしてるのは誰もが同じだろう。ぼくとしてはトッテナムに勝ってほしいのだが、客観的にはリヴァプールだろうな〜。フットボールファンとしては、そんな5月末なのだが、海外スポーツナビは、このところポーランドでのU20代表と、久保建英の日本代表入りのニュースがずらり。U20の世界選手権については、あまりにも情報過多なので、出場国するイタリアとフランスのフットボール・サイトも見てみたが、日本ほどではない。欧州のことを考えれば普通のことだが。
日本のサッカー界とメディアはスターを欲しがっているんだろう(ひねくれたぼくも、そうしたところはある)。こうした昔からの日本の状況は、選手にとっては少し可愛そうな気がする。バルサでもレアルでも下部チームには多くの「久保」くんがいるに違いない。そこを通り抜けて、トップチーム、そして11人に定着することがどれほど大変なのか、そんなことも書いて欲しい。誰もが分かっていても当たり前のことなので、ニュースにならないのかもしれない。メディアの宿命か。ただ、当たり前のことを伝えることも大切ではないのか。これまで、日本にも「天才少年」はかなりいた。久保建英くらいの若手選手は、リーズ・ユナイテッドのU23にも結構いる。
さて、今回は前回の続きで、日本のサッカーメディアについてで、テレビのことを書くことにする。若い人は、スマホになっているかもしれないが、ぼくのような年代は、やっぱりテレビ。といっても、あまり書くことはない。サッカー中継に出てくる解説者について書きたいことはあるが、それはまた別の問題。
それより、このブログで書きたいことのひとつ、スポーツメディアの芸能界化では、日本のテレビが先頭を行っている。とにかく控えめにしてほしい。テレビに望むのはそれだけだ。素人のタレント芸能人に解説やコメントをされても面白くない。ああ、このタレントがフットボールファンなのかと思うだけだ。ちょっとは嬉しいけど、それだけ。また、ゲスト出演する選手や元選手も、タレント化させられ笑いを取ろうとする。テレビで顔を知られて、引退後メディアで重宝されようとしているのか。ただ、テレビだけが悪いのではなく、芸能界化した今の日本の文化土壌のせいである。ぼくたち一人一人の責任なのだ(実際、ぼく自身ちょっと毒されている。欧州のメディアをチェックするのも、そうしたテレビメディアの芸能界的色合いを、自分の中で少し中和したいとも思うからだ)。
といってもテレビで中継があれば見てしまう。ただし、ここ何年もスポーツ・バラエティーは見てない。東京オリンピックに向けて、サッカーだけでなく、スポーツ全体がテレビメディアの格好のネタになっていくだろうが、バラエティー化してみても、スポーツのスリリングさが向上するわけではないのだ。
次は、ネット。ぼくはスマホを使えないので(持っているが)、ほぼPCで情報を見ている。前回書いたように、中心は海外サッカー・スポーツナビ だが、どういった方針で、ニュースを拾ってくるのか、欧州でもバイトを雇って、各国のスポーツ紙やネット情報をピックアップして、編集に送っているのだろうが、そこから記事を取捨選択するのは編集部の人だろう(と想像する)。ただ、その基準についてもう少し考えてほしい。ニュースを取り上げる理念をしっかり考えて欲しいのだ。ナビがにもよくある記事だが、ある選手の奥さんが美人かどうかなんて、ぼくには興味がない。美人だったらダンナはすごいプレーヤーになるのか。ゴルフでも女子選手が美人度なんかを話題にされる。飲み屋でのぼくたちオヤジの話だ。欧州でも、こうしたネタを流す大衆紙やネットもあるだろうが、日本ほど酷くない。他にも指摘したいことは多いが、こうしてざっと考えると、サッカー界も、芸能界、それもオヤジ視点の芸能界になっているのかもしれない。視聴率のため?日本のサッカー選手が欧州的で一流になるためには、スポーツメディアがオヤジ芸能界的であることを少しでも薄くすることだと思っている。こうしたことを考えている人も少なくないはずだ。
試合の中継はここ1年ちょっと、一応DAZNで見ている。民放の中継はなるべく見ないようにしている。うるさいのだ、欧州の中継のうるささとは違うものだが。要望として、前にも書いたように、イングランドのチャンピオンシップも入れて欲しいと願うばかりだ。あとは何だろう。
そうそう、この1年、ネットでYorkshire Evening Postという地方紙でリーズの記事を追いかけてきたが、その地元愛というのがすごい。賞賛記事ばかりでなく批判的論調もあるが、記者やライターの分析記事も読ませる。こうしたことを日本でもと、切に願う。例えば、ぼくの住んでいる京都だったら、京都新聞と京都テレビがパープルサンガ(今は京都サンガ)のコーナーを置き、単なるニュースだけではなく、試合とチームそのものの分析記事を常時掲載して欲しいのだ。批判するとしても、もちろん愛情を持って。批判することは多いはずだ。何がチームを低迷させているのか、歴史的なことも含めて分析して欲しいと思う(ネットにはそうした記事はある)。これが地域新聞なのではないか。そうしたページからパープルサンガが成長することもあるはずだ。サッカーにそんなにページを割り振れないのはわかるが、Jリーグが地域とともに生きていくというなら、日本のサッカー協会も、地域メディアとの関係を真剣に考えて欲しいと思っている。それがYorkshire Evening Postを読んできて感じたことである。
フットボールはグローバルな面もレジオナルな側面を同時に抱えている複雑な世界だ。グローバルな面はお金と金融資本主義の問題と大した差はない。でも、地域的なことはちょっと違う。フットボールへの情熱が湧きでる場でもある。そのことを意識するのが地域メディアの役割だろう。日本で言うサッカーは、まだそうした成熟度に達してないということかもしれない。地元ファンにとって、1週間に1回の試合は、大袈裟だけど、一種のカタルシスの場でもあるだろう。京都新聞と京都テレビは、視聴率なんて関係なさそうだから、地域メディアの矜持を示して欲しいし、サッカー情報にもう少しページを割いて欲しいのだ。





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