リーズのカヴァーニを夢見て
リーズがプレミアに復帰するのがうれしくて、その日からネットでリーズのニュースや動画に浸っていた。現地リーズに行ったことはないが、リーズ・サポーターの市内でのお祭り騒ぎは、コロナなのにと思うものの、サポーターたちが16年間抱えてきたチームへのルサンチマンが爆発し快楽へと変わったその光景を見て、それほどまでチームを愛しているのかと驚き、また羨ましくもあった。そんな昇格決定後のリーズのニュースを追っかけていたら、何と!オーナーの ラドリッツァーニが、あのカヴァーニに興味があって移籍交渉をしたいと思っているというニュースがデジタル日刊誌ReedsLiveに出てきた(Sky Sport Italia経由)。日本でも報道されたが、ほんと驚いた。なんと言っても、ぼくはカヴァーニの大ファンなのだ。日本にも多くのファンがいると思う。 そのカヴァーニ、ウルグアイ の北部サルト(Salto)という町(アルゼンチンとの国境にある人口10万人ほど。でもウルグアイ で3番目に人口の多い町だそうだ)に生まれ、地元の サルトFCでフットボールを始める。 父親がフットボーラー(のちに指導者にもなる)だったためだろう。そして12歳で首都モンテビデオに移り、ウルグアイ の強豪チーム、ダヌビオFC(Danubio FC)のユースチームでプレーし始める。ちなみに、このクラブにはフォルラン、ヒメネスなども在籍していた。2006年にトップチームと契約、初年度から活躍し、海外でも知られるようになる。そして、翌2007年冬にイタリアのパレルモに。ただし、活躍しだすのは2007−08シーズンに入ってから。このパレルモで、カヴァーニはそのプレースタイルから「エル・マタドール」のニックネームを与えられることになる。パレルモでの活躍で、ヨーロッパ中に知られるようになり、2010年名門ナポリと契約(最初はレンタル)。2年目には26ゴールを決め、イタリアのトップ・アタッカーの一人となる。 と、カヴァーニのキャリアを仏・西のウィキに頼って簡単に書いてきたが、実は、ぼくはイタリア時代のカヴァーニをほとんど知らない。中田英寿効果で日本で「イタリア・サッカー・ブーム」があった時代のあとにカヴァーニはイタリアにやってきたのだ。ぼくもまだ本格的フットボール・ファンではなく、素直に日本のサッカー・メディアを信じ、中田、俊介等々、欧州