リリアン・テュラムのこと
このブログの2回目は、1998年から2002年までのフランス代表チームのDFリリアン・テュラムのことである。フランスW杯の後方から駆け上がってネットを揺らしたシーンは今でも覚えている。でも、ここで書くのは、選手としてのテュラムのことではない。ウィキの紹介では、ニックネームに「鉄人」とある。確かに、すごく知的な選手だった。そのテュラムの名前を、選手引退後久しぶりに目にしたのは、ある展覧会でのことだった。ちょうど、パリに滞在していた時期で、ポスターを見て面白そうだなと思い、会場の世界民族芸術博物館ケ・ブランリーに行ったのだった。もう10年近く前のことだ。その会場のポスターにあのテュラムが写っているではないか。感激したので、そのことは数年前までまでやっていたFrench Libraryという日記ブログにも書いた(休み中で中止してはいない。雑記などはまた再開するつもりだ)。その文章を引用しておきたい(誤植は訂正して)。 テュラムはもともと知的な(サッカー以外のことに興味をもつ、と言う意味で)人間だった。ある雑誌でインタビューを読んだときに驚いた。そして引退後、人種差別をなくすための基金を創設した。 そのテュラムが展覧会を組織した「野生(野蛮)の発明」(L'invention du sauvage)。場所はケ・ブランリー(世界民族博物館と言うのか)。ジャン・ヌーベルの建物も話題になった博物館である。そこでテュラムは、啓蒙の時代から20世紀前半にかけて、西洋がどのように「野生」あるいは「野蛮」という概念とイメージをつくりだしたのかの歴史を、展覧会として組織したのだ。パスカル・ブランシャールというアフリカ研究者と一緒に。見応えのある展覧会だった。その年の一番といってもいい。アフリカを中心にアジア、ラテン・アメリカ、北米アメリカのさまざまな民族、部族が、万博の民族館、フォリー・ベルジェール等のキャバレー、「植民地展」といった、欧米のスペクタクルの場に「出品」され、西洋とは「異なった人間」として輪郭化されていったのかが、しっかりと展示されていた。ポスト・コロニアル」という研究概念のひとつの展示化だといえば簡単だが、研究ギョウカイにおけるそれは、ぼくの目からは依然として、他者を言説化する、その意識に自覚的ではないとみえる。といって、展覧会はサイードの「オリエンタリ