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南野と下降曲線のリーズ・ユナイテッド

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ブログも投稿期間が空いてきた。ほとんど読まれないブログって何だろうと思いつつも、フットボール世界をどのように書いたらいいのかの実験台としてもあるので、書きたいことを書きたいときに書くスタンスは続けていこうと思う。ブログは速攻のsnsと違ってゆったりできるメリットがある。と言っても、フットボールファンには日々のフットボール情報をネットでチェックするだけで時間がかかるし、自分の仕事(しなければなたないこと)もあるし、加えて今年のユーロ旅行の手配も大変だ。こんな下世話な現実があると、なかなか深く思考する時間が取れないのだ。実際だんだんブログが「非哲学的」になっていく。まあいいか。それもブログだ。 日本のサッカーメディアは、久保に代わって南野の話題へとシフト。「リバプールの南野」というブランドの方が上だものね。あと2ヶ月ほど経たないと実際のことはわからないので、日本の記者発の南野記事はほとんど読まない。何人の日本のライターたちが南野番としてイングランド にいるのか知らないが、ヨイショ記事を書くのは、スポーツライターとしてどんな気持ちなんだろう。大体日本の読者をなめている。日本のサッカーファンや一般の人も含めて「関心を引くように、読まれるように」という思惑が記事には満載だ。そのことが日本サッカーの弱さへと繋がっていくのに、それがわかっていないライター(あるいは配信元)が多すぎる。南野であれ久保であれ、日本語で報道される記事は文脈全体の断片にすぎない。少しでも地元紙、海外紙をチェックしていればわかる。まあ時々あちらのスポーツ記者にも「逆オリエンタリスト」的記者がいて、日本人プレーヤを褒め称える「日本好き人間」もいるから「称賛記事」もあるだろう。でも、FAカップやウルブスの南野をみた人なら、彼がリバプールに適応数のはまだまだだと不安になった日本のファンも多いと思う。いつも書いていることだが、フットボールはグローバルなのだ。書く側も、その視点がほしいと思っている。欧州の日本人選手だけを「ヨイショ」してても生産的なことは何もない。 さて、南野のことから書き始めたが、その話題はこのところのぼくの関心事ではない。日々やきもきしているのはチャンピオンシップ でのリーズ・ユナイテッドのもたつきのことである。昨年12月中頃までは、プレミア昇格確実かと思っていたし、FAカップアーセナル