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雑誌『SO FOOT』

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 5月初めのブログで、フランスのフットボール月刊誌『SO FOOT』についてちょっと書いたが、数日前にやっと送られてきた。ぼくの決済がきちんとしてなかったせいだが、再注文したら1週間ほどで到着した。今回は、この月刊誌のことを書いてみよう。実は4ー5年前にも1年間の定期購読をしたのだが、その時は仕事をしていたので時間が足りず、しっかり目を通せなかったので1年限りの購読となった。ぼくがカヴァーニのファンなのは、そこに掲載されていた彼のインタビューを読んだことにもある。前回も書いたが、フランスのスポーツ記事は新聞でも日本に比べれば長い。ましてや雑誌となるといっそうだ。カヴァーニのインタビューは8ページにもわたる(写真を含めて)。普通の感覚のフットボール雑誌にはない視点からのインタビューが新鮮だったことも覚えている。他にも面白い色々な記事があった。このブログのネタにしようと(©️に触れない程度の)、時間ができたので再度定期購読を始めたのだ。 届いた6月号は、コパ、アフリカ・ネーションッズカップ、女子W杯の季節のためだろう、その関係レポートがメインで、選手や元監督へのインタビュー、さまざまなトピックスなどで構成されている。インタビュー記事が面白い。女子ブラジル代表の「フォルミガ」、PGSのカメルーン代表 ジャン=エリック・マキシム・シュポ=モティング、元アルゼンチン代表の監督、エル・ココことアルフィオ・バシーレ(アメリカでの悲惨なW杯での監督が印象的だ)、そして フランス女子フットボールのパイオニア、コリンンヌ・ディアクルなど。 加えて、ルポルタージュ。エヴァートンのリシャーリソン (移籍する可能性がある) 、カタールのフットボールの現在、SF小説家でフットボール・ファンのアラン・ダマイーゾのフット資本主義論、コートジボワール低迷の要因となっているというフットボール協会会長のシディー・ディアロを「墓掘り人・破壊者」として描くインサイド・レポートなどなど、かなり幅広い。細かく読むのはかなり時間がかかる。辞書がいるのだ。月刊誌なので、試合レポートがないのだろう。ただし、前の月のフットボール関連のユーモアたっぷりの月報はある。 真っ先に読んだのは、「結局、失ったのはマルセロか?」の見出しでの、昇格できなかったマルセロ・ビエルサを皮肉った1ぺージのコラムからである(フランス人

サッカー・メディアの言葉

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例年なら6月は、フットボールのお休み期間。試合がないと、1週間の生活リズムも変わってしまう。でも今年2019年は、その暇な月にフットボールが目白押し。トゥーロン、U20、女子W杯、コパも始まった。加えて、Jリーグも見るようになった(ハイライト動画だけど)。これまでそんなに注目してこなかったのに、このブログを始めてから結構見ている。それから久保フィーバー。信じられないというか・・・。まあ、少し先まで待ってみようというのが正直なところ。フィーバーを作っているのはもちろん日本のメディア。はしゃぎすぎで、もうリーガの中心選手になったような雰囲気。逆から考えれば、そうした選手がいなかったことと、そうした選手の登場を望んでいるためで、相変わらず、向こうのちょっとした言葉使いを大げさに見出しで使う。例えば、バルサのビダルが 「レアル・マドリーが獲得するような本当に質の高い選手だ。」と発言したことを中心に、最後は 「近い将来、ラ・リーガでも対戦するであろう日本の18歳のホープに敬意を示したビダル。」と締める(sport.es)。コパのメディア・カンファレンスでの発言ということだが、記事を書いた記者が直接聞いていたものなのか、通訳してもらったものなのか、スペイン語のニュアンスは伝わってこない。最初に記事の方向は決まっていると見えるのだ。リーガで活躍するだろう選手という前提があり、発言を日本の文脈に合わせてまとめる。その表現法が透けて見える。日本のサッカーメディアの未熟さではないのか。もちろん、海外にも似たような記事はある。ただ、別にきちっと現実を見る記事も多い。 スペイン語のできるセルジオ越後をレポーターとして送り込んで欲しかった。 こんなことを書く予定ではなかった。メディアのフェイクめいた記事を見るとつい書きたくなるので書いてしまったが、カタールとパラグアイの一戦を見れば、南米のフットボール界がアジアをちょっと小馬鹿にしている感じがした(カタールの最初のシュートは見事だったが)。日本とチリもそうだろう。負けようが勝とうが、日本メディアでは久保が活躍すればよいのかもしれない。とすれば、森保監督は、チームで戦うなどと言わずに、露骨に久保中心のチームにしたらどうなのか。なんせ、レアルの久保なのだ。何とかやってくれるだろう。そしてぼろ負けしたら、どのような記事になるのか。大体は想像が

移籍、あるいは海外でプレーするすること1

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CLはやっぱり・・・。細かいところはわからないが、プロフェッショナルな試合だったと感じた。面白くなかったという人も多いが、チャンピオンになるための練りに練った戦術、それを理解しプレーする選手たち。トップレベルの本当の大一番はそういうことだろうね。そこでトッテナムがちょっとだけ負けていたのかもしれないと思う。でも、高度な試合だった。惜しむらくは、ルーカスとジョレンテの投入が遅かった気もするけど。こんなマッチレポートを書くのが目的ではないので、別の話題にしよう。 今回はサッカー選手(サッカーと書くときは日本のことを想定する)たちの移籍について。と言っても、メルカート的な話ではなく、移籍って何かを考えてみたい、という意味での移籍の話。 フットボールのレギュラー・シーズンが終わったあとは、どこでも移籍の話。メディアにとってはこれしか書くことないからだろう。シーズン中のガセ的ニュースは、真夏に向かって信憑性が増してくる。ぼくの閲覧している、イギリスとフランスのサイトで、日本のサッカー選手が大きな話題になることはほとんどない。ビッグクラブに行って欲しいというぼくたちの願望が、向こうの1行記事をトップ記事のように扱う日本のメディア。といって、今のところ日本選手のビッグな移籍ディールはない。 こんな季節、移籍というそのこと自体にも興味が湧いてくる。移籍というと、選手のステップアップのために欧州のクラブに渡ることが中心になっているが、移籍の問題はずっと広くて深い。グローバルな21世紀の世界では、金、情報、知識が飛び交うだけでなく、人も動いている。ひとつの国に閉じていることなどできないのだ。もちろん、国や地域によって程度の差はあるが、金融と情報の資本主義で回転するこの世紀は、人の移動の世紀でもある。移籍を、この移動という観点から見たいのだ。実際、この閉鎖的な日本でも、人は動いている。高校卒業後、アメリカや欧州の大学に進学する若者も少なくない(その量的調査を探したが見つからないので、個人的経験からの推測だが)し、国内の就活ではなく、海外へと仕事を求める人たちもいる(このところの日本の就職率の高さで、海外志向は減ったかもしれない)。実は、サッカー選手も同じなのだ。メディアで報じられることは少ないが、日本人選手(男子)は世界中でフットボールをやっている。このことがわかったのは、移籍