マルセロ・ビエルサとチェ・ゲバラープレミア復帰に思う

 前回のブログ投稿から、またまた3ヶ月近くになってしまった。コロナ禍の下での生活は後でちょっと書きたいが、久しぶりの投稿は、なんと言ってもリーズのプレミアへの復帰!サポーターたちの歓喜の様子をイングランド のメデイアが大々的に報じている。エランド・ロード前に集まったサポーターの映像から興奮度がわかる。とにかく来季のプレミアがこれまで以上に楽しみになってきた。ただし、問題はビエルサがチームに残るかどうか。基本、2年契約だが、これはビエルサの気持ち次第だろう。クラブとリーズ、そしてサポーターとビエルサとの関係次第だ。ビエルサは気に入っているという。リーズ・ユナイテッドがフットボールの原点を体現していると感じているらしい(色々な記事からの推測だが)。あと1年でいいからリーズで指揮して欲しい。これがぼくの願いだ。もちろん、その先続けてくれれば言うことはない。個人的感想としては、ビエルサは理想のフットボールが実現できるチームを探してきたのではないかと思っている。リーズはそれに近いと感じているのではないか。理想、それは戦術やスター選手を集めてフットボールをすることではない。そんなのはモリーニョなどスター監督とビッグクラブに任せておけばいい。
フットボールは、クラブを作り上げる環境がすごく重要だと、ビエルサは考えていると思う。どの監督も考えるだろうが、ビエルサはそれを突き詰める。リーズ就任後に要求した選手のための環境作り(これはフランスのリールでもやった)によく現れている。そうするのは選手のプレーの質を上げるためばかりではない。ビエルサは、フットボールは、チームのある都市・地域のサポート・コミュニティーに支えられていると考えているに違いない。選手たちに観客席を掃除させるところにもよく表れている。
彼にとってフットボールはクラブ持つ地域の「人々のためのもの」なのだ。監督と選手は「人々のために」プレーする必要があると考えているのだ。そのためにチームは「いい試合をし」、サポーターに喜びと幸せを与える必要があるのだ。勝利はそこに付いてくるものだと考えているのだろう。戦術オタクであるのは、もちろんビエルサの本来的気質もあるだろうが、「人々のために」という思想から自然に生まれてくるものだと思う。
昨年度、18−19シーズンに物議を醸したスパイゲート事件や得点返上事件など、その「エル・ロコ」ぶりを、まともな行為だとぼくは思っている。逆にスキャンダラス化した関係者の方が、現代のフットボールの歪みを自覚してないのだ。スパイゲートに強く抗議したランパードにぼくは失望した。金銭的不正行為も生み出す巨大ビジネス化した現代のフットボールに、ビエルサはそれほど関心はないのだろう。逆に、そのことを苦々しく思ってもいるのではないか。そんなことも想像する。
ビエルサ自身についてはまだまだ書きたいことはある。この2年間、ビエルサについての多くの記事や書かれたものも読んできた。ここまで書いてきたことは、そうしたことから推測したことである。
こうして ぼくは、ビエルサにあのチェ・ゲバラを重ねるようになった。まず、出身地が同じだ。アルゼンチンのロサリオ。二人とも裕福な家庭の出である。マルセロ・ビエルサの兄は政治家で詩人でもあるラファエロで外務大臣を務めた、姉は建築家で政治家、そして少し前に地域発展・住宅大臣になった。そんなハイソな家庭出身のマルセロはフットボールに目覚めてしまったのだ。理由はわからない。ただし父親・兄・姉にある気質や傾向を持っているとは感じる。兄と姉の二人が「正義党」(いわゆるペロン派)であり、一種人民主義的政治観を持っていることはマルセロ・ビエルサの形成とどこかで関係していると想像している。ただし、戦後のアルゼンチン政治世界のど真ん中に存在するペロン主義は、不思議なことは山ほどあるが、今でも「人民主義」思想がベースにあるような気がする。そう想像して、兄・姉とマルセロ・ビエルサの関係を想像してみたのだ。マルセロ・ビエルサの「人々のために」はいい意味でのペロン主義の根っこにあるものだと考えている。それがチェ・ゲバラと結びつけるのだ。
ゲバラも裕福な家庭で、それもロサリオで生まれている。メッシもディ・マリアもロサリオ出身だ。どんな都市だろうと空想する。最後に行ってみたい都市だ。ともかく、チェ・ゲバラのことは書くまでもないだろう。革命によって人民を解放するという思想に生き実践したヒーローには、何よりも情熱と強い意志があった。そして戦術マニアでもある。少人数の同士とボリビアでゲリラ戦を仕掛けるチェ・ゲバラの準備と戦略は細かい。同志への要求も強い。邦訳されている『ゲバラ日記』を読むとそのことがわかる。キューバ革命で英雄になり重要な役職に付くが、世界を解放するためにキューバを去ってしまう。情熱は人民の解放に向けられているのだ。
日本語のウィキにはチェ・ゲバラの語録が記されている(日本語版だけに書かれているのも面白い)。そのいくつか挙げておこう。マルセロ・ビエルサと共通する精神があることがわかる。
「真の革命家は偉大なるによって導かれる。人間への愛、正義への愛、真実への愛。愛の無い真の革命家など想像できない。」
隣人の為に尽くす誇りは、高所得を得るより遥かに大切だ。蓄財できる全ての黄金よりも遥かに決定的でいつまでも続くのは、人民たちへの感謝の念だ。」
指導者とは、人が自分と同じところまで追いつけるように誘導するものだ。ただ言葉で強いるのでなく、後ろにいる人たちを力づけて、自分のレベルまで引き上げようとするのだ。」
「僕を導くものは、真実への情熱だけだ。あらゆる問題について、僕はこの点から考える。」
「もし私たちが空想家のようだと言われるならば、救い難い理想主義者だと言われるならば、できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、「そのとおりだ」
こうした言葉を残しながらチェ・ゲバラはボリヴィアで銃殺される。その理想主義者の記憶を心に持つ人間は21世紀となった今でも世界中いる。マルセロ・ビエルサは、その一人だと思う。ひとつの目的は達した。だが、プレミアでもフットボールの理想のために「エル・ロコ」になるだろう。でも、リーズを去ることがあるかもしれない。それはオーナーのアンドレア・ラドリッツァーニ次第だ。

こもり生活とフットボール
籠るような生活リズムにも慣れてきて、楽しみ方もわかってきた。1日は短い。午前9時起床が定着し、午前中は新聞とネットでニュースを見る。アメリカの大統領選に興味があるので、ワシントン・ポストのネット版にお金を出して登録。なんせここは、あのニクソン・スキャンダルを暴いた新聞だ。やっぱり内容が濃い。それからBBCスポーツでチャンピオンシップの記事をチェック、もちろんヨークシャー・イヴニング・ポスト(ただし少し前から有料になったので、リーズ・ライヴ(Leeds Live)へと鞍替え、リーズのHP、などなど(こんなこと書いているとすらすら読んでいるように思うだろうが、知らない単語も多く結構時間がかかる。英語の勉強にはならない。歳なので単語を覚えられないのだ)。フットボール関係がないときにはちょっと文章を書く。ツーリズムに関心が向いてきたので、その論文をネットで探し読んでいる。こんなことしているうちに昼食の準備。家内のキツーイ一言で、ここ2ヶ月昼食を作っているのだ。少しは上手になってきたと思う。それから、テレビでサスペンス系ドラマを見て、それから本を読みながら昼寝。そして健康のために散歩。夕食前にまたまたリーズのニュースをチェック。昇格したので、イングランド と世界のリーズ・ファンの感激がどんなものだろうかと世界のスポーツ系のニュース・サイトをサーフする。よかったのは、アメリカのcnnの記事(https://edition.cnn.com/2020/07/19/football/leeds-promotion-bielsa-el-loco-spt-intl/index.html)。ゆっくりと家内と夕食をしつつ(料理はいつも美味しい)、共通で見れるコロナ関係のニュース報道番組を9時まで。BS-TBSの「報道1935」だ。おそらく日本でジャーナリズムとしての報道の匂いがするのはここだけではないだろうか。その後はいろんなことを。3月以来のコロナ禍の間は、これまで以上にドラマを見た。ネットフリックスには加入せず、アマゾン・プライムとGEOのDVDレンタル、そしてテレビでの映画など、映画やドラマを、ほんとたくさん見た。主にアメリカ映画と韓国映画である。フットボールなら、ビエルサとリーズの1年目のドキュメンタリーが面白かった。もう一度見てみよう。
こんなことで結構楽しくやっているのだが、フットボール中継は見ていない。観客のいない試合はやっぱりつまらないという、当たり前の感想になるが、リーズがプレミアに復帰する来季は観客が入っての戦いになってほしいと切実に思う。











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