極私的フットボーラー列伝1

 コパ、女子W杯、CANが佳境に入ってきた。ウルグアイが負けてしまった。来期からはどこのチームもVAR戦略を考えてくるだろう。中島翔哉がポルトガル帰還も目が離せない。といって、日々の話題が目的ではないので、今回からごく個人的な趣味を前面に出して(これまでもそうだったが)、ぼくの頭に刻印された選手(フットボーラー)たちのことを綴ってみよう。その1回目。気の向いた時に投稿したいと思う。ただし、これまで名前を出した、テュラムなどは除く。年代史に沿って書いていく。これもフットボールのひとつの歴史だと思って。

1 風間俊(青志高校サッカー部)フットボールに興味を持たせてくれた、石井ひさみの名作漫画『くたばれ!!涙くん』(1969年連載開始)の主人公。フォワード。監督鬼子の娘小百合への恋心と、ライバルたちに勝利しようとして放つ、死をかけたシュートで命を落としてしまうという、強烈なロマンティズムな漫画。今でも泣けたのを覚えている。もちろん、現実にはこんな選手もシュートも出てこなかったが。このことに触れたブログもある。https://ameblo.jp/petit-spfairy/entry-11852504840.html
2 杉山隆一(日本代表、三菱重工)左ウィング。日本サッカー創成期(メキシコ・オリンピックの時代)の快速左ウィング。その頃、ぼくの住んでいた愛知県ではNHKしかサッカー放送がなかったと記憶するが、白黒画面に映る左サイドを猛スピードでドリブルする、杉山隆一には感動した。そのスピードは現在と比較してどうなのかはわからない。現在の伊東純也の方が速いとは思うが、今と昔を競技レベルで「比較する」ことには大した意味はない。比較できないからだ。ペレとメッシを比較できないように。ともかく、サッカーに興味を持ち始めた頃に一番好きな空想のプレーヤーだったのだ。伊東純也もそんな印象深い選手になってほしい。
3 ティガナ(ジャン)(フランス代表、FCGB、OM)マリ出身のフランスのMF。皇帝プラティニとともにユーロ1984で優勝。細身でしなやかにピッチを駆けめぐるティガナの姿と、マラケシの食堂のテレビで見た、そのユーロの試合(どことの対戦か忘れた)での「アレ!ティガナ!」と熱狂するフランス人、モロッコ人(ぼくも家族も叫んでいた)の掛け声は耳の奥に残る。他にもティガナを見たが(テレビで)、いつも印象は同じだった。草原を駆ける優しい狩人(表現おかしいが)のイメージ。その時代のフランス代表はすごかった。プラティニ、アラン・ジレス、ルイス・フェルナンデスなどのチームの、メキシコW杯(マラドーナの5人抜きで知られる大会)でのブラジルとの準々決勝。これも鮮明だ(テレビで)。ブラジルのソクラテスにも感心したが、PK戦でフランスの勝利。これで決勝までいけるかと思ったが、準決勝であっさり負けてしまった。でも、優勝しなくても、あんな試合をやったらもう十分だと感じたものだ。ティガナはフランス・フットボール史のレジェンドで、引退後も監督として、特にモナコで卓越した成績を残した。
4 ソリン(フアン・パブロ)(アルゼンチン代表、PSGなど)リーヴェル・プレートで頭角を現した左ウイング。ぼくが印象に残っているのは2002年の日韓W杯である。アルゼンチンとイングランドの一戦を息子と札幌で観戦した。僕たちの目の先で、ベッカムがPKを決めて負けてしまった試合だ。スター選手揃いのアルゼンチン選手の中でひときわ印象的な選手だった。髪を振りかざしながら左サイドをダイナミックに突進、ディフェンスでの迫力あるチェック。魅了されてしまった。情熱的なのだ。クールにロングフィードをするベッカムと対照的だった。以後ソリンは、各国のチームでプレーしサポーターの支持も多かった。ぼくにとって印象的だったのは、PSG時代のソリンだ。2003−04と1年だったが、ものすごく人気があったし強い印象を与えていた。サポーターに「Bonheur(喜び)」と呼ばれ、無敗記録にも貢献していた。ぼくがちょうどスタジアムで試合を見始めた頃にソリンがPSGにいて、1度ピッチの彼を見ている。ソリンにとって幸せなパリは(詳細は、https://www.sofoot.com/blogs/juan_pablo_sorin/le-bonheur-par-jp-sorin-148658.html)、当時の監督、あのハリルホジッチとウマが合わず追い出され(ひどい!)、クルゼイロ、ヴィジャレアル、ハンブルガーSV、最後はまたクルゼイロに戻り、引退。もともと文学的資質があったのだろう、小説も発表しているし、社会活動にも熱心だそうだ。知識人なのだ。
5 ハジ(ゲオルゲ)(ルーマニア代表、レアル、バルサ等) メッシが走らないことで論議されるが、1990年代のルーマニア代表でのハジ、特に94年のアメリカW杯では際立っていた。中盤の左サイドにいて、ただうろうろしているだけ。守備はほとんどしない(そういった印象)。ただ、他の9人が守備は9人でとでもいう強い意志があった。それだけハジは信頼されていたのだろう。そのハジは、攻撃にはここぞという時に前線へと向かいすごいパスやシュートを放つ。バルカンのマラドーナと言われていたが、小柄でがっちりした体格と田舎の親父さんといった風情との対照性がハジの独特の印象を強めていた。実際の試合を見たことはなかったが、アメリカW杯でのルーマニアの強さはハジによるものだった。現在から見れば、フットボールがまだ牧歌的時代だったということだろうか。1989年に起こったルーマニアの社会主義政権崩壊は、フットボーラーにとっても今だ深い影を落としているが、ハジはそれを笑い飛ばしたらしい(2016年のfootball365の記事から)。その後国を出てレアルやバルサでプレーするが、ルーマニア代表キャプテンの時のような輝きを放つことはなかった。こんな選手はもう出てくることはないだろうし、時代もそうなった。歩くメッシを見ていると、いつもハジを思い出す。
写真は2016年のSO FOOTのブログから(https://www.sofoot.com/blogs/juan_pablo_sorin/le-bonheur-par-jp-sorin-148658.html )

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