アフリカのフットボール少年たちの悲劇


2019年の7月も終わった。やっとフットボールのシーズンが開幕。プレシーズンの親善マッチも見ることができるようになったが、あまり面白くない。準備体操なのだ。ブログを3週間近く書かなかったのも、このダレた季節と暑さのせいだ。ただ、リーズがマンUとの親善マッチでのぼろ負けは不安だ。来年、昇格できるのかな〜。ビエルサの悲劇は続くのか。フットボールの殉教者にならないようにと願っている。初戦はともかく勝利した。
今回は、ちょっとややこしいことを書いてみる。「ややこしい」というのは、正確に事態を書こうと思うと本1冊分くらいの量になってしまうので、ブログではかなりの部分をはしょることになり、問題が短略化してしまう、そうした「ややこしさ」だ。誤解を与えることにもなりかねない。だったら書かなきゃいいと叱られるが、「アフリカのフットボール少年たちの悲劇」はフットボール界にとって大きな問題なのに、日本で報道されることがほとんどない。唯一ルモンド・ディプロマティークの日本語ウェブ版が、不安定に耐えるか、外国へ逃げるか。アフリカの悲惨なサッカー事情」(コートジボワールの現状についてのレポート)という記事を配信しているくらいか(もっとあるかもしれない)。ともかく、現在のフットボール界では重要事なので書くことにした。日本サッカー界が成熟するには、こうした問題も意識する必要があると思う。フットボールは世界の現実であり、そこには悲劇もあるのだということを。サッカー好きの人には頭においていてほしいと願っている。
特にアフリカの若い(子供も多い)フットボーラーたちの悲劇については、例えばフランスでは、10年以上前からアフリカのフットボーラーの奴隷貿易としてメディアで報道されてきたが、10年前に比べれば記事が少し減ってきた印象があった。しかし昨年、バルテレミ・ガイヤールとクリストフ・グレーズ(ぼく購読しているSO FOOTの記者)による『アフリカのフットボーラーと近代奴隷システム』(Magique Système: l'esclavage moderne des footballeurs africains, Marabout, 2018))という本が出版され反響を呼び、再びアフリカの若い選手たちの悲惨な現実が新聞や雑誌で取り上げられるようになったようだ(ネットでの記事を見る限り)。そこで描かれているのは、金融資本主義のもとでのフットボールというスポーツの夢と悲劇である。
現在、アフリカから6000人以上の若い(時に子供の)フットーボラーの卵が毎年欧州でのプレーを目指してやってくるという。その内、ぼくたちのよく知るマネ、少し前ならドログバやエトーといったスターになるのはごくごくわずかなことは想像できる。スター選手でなくとも、それなりのクラブに雇われプレーしているアフリカ系の選手は多いようにも感じるが、やってくる人数と比較すれば、そんな成功例はわずかだとのことだ。ヨーロッパに来る(連れてこられる)選手の70%は成功せず、ひどい場合には、パスポートもお金もなく、ストリートチルドレンになるものも少なくないという。
欧州に憧れるのは貧困からである。代理人と称するエージェントによって、口約束のような形で欧州へやってくる若者(少年)も多いという。そこには様々な要素が絡んでいて説明するのは難しいが、ともかく騙され捨てられる子供や若者は少なくないのだ。この問題には、アフリカ各国の政治経済問題、フットボール環境、協会の未整備、悪どい仲介人たち、ヨーロッパ・フットボール界のマネーゲーム(直接関与するのは無数の代理人やクラブ関係者)の非情さ、さらに旧宗主国である欧州での人種的差別も加わる。にもかかわらず、若いアフリカのフットボーラーたちは欧州のクラブを目指す。貧困から抜け出て世界に羽ばたく夢のためだ。夢は選手だけでなく、親や親戚も抱えている。現在も、アフリカを中心に続いている現実だ。日本だけでなく世界中で見られる貧しい国からの出稼ぎや難民の問題にも通じる。
ぼくがこうした状態を知ったのは、10年以上前になるだろうか。ウェブサイトにあった若いアフリカ人の元選手たちを救う組織「フットボール文化の連帯」のホームページを見た時からだ(この件に関してはル・パリジャン紙の2006年の記事を参照。http://www.leparisien.fr/val-d-oise-95/incontournable-culture-foot-solidaire-25-01-2006-2006682374.php)。そのサイトは今でもネット上にあるが、現在は、難民問題を扱う組織「避難所の地フランス」の「連帯するフットボール文化」という部門に受け継がれているようだ。
ヨーロッパのアフリカ系のスター選手は、もちろんそのことをわかっている。ジョージ・ウェアーが政治家になったのも、母国の貧困を肌で感じていたからではないか。ぼくはコートジュボワール出身のディディエ・ドログバ(日本サッカーファンにはブラジルW杯での日本戦の存在感が印象に残っているだろう)のファンで、特にチェルシーでのドログバはテレビで追いかけていた。彼のバックボーンは何なのかを知りたくてネットで情報を探していた時に、アフリカの悲劇問題を知ったのだが、ともかく、以来、ドログバのシュートが、アフリカの過酷な現実に亀裂を入れ、希望の回路を開こうとしているように感じていた。ドログバは母国で子供時代、7年ほどしか住んでないが、現実を知るのは十分だろう。ドログバもコートジュボワールの過酷な現実を背負っていた。その強烈なシュートから、フットボールが、精神的な意味で、現実と希望の弁証法から成り立つ世界なのだと実感した。
ドログバのニックネーイムは「ティト」(Tito)と言う。このあだ名の由来は、母親の尊敬していた旧ユーゴスラヴィアの今となっては伝説の大統領、チトーだという(英語版ウィキから)。うまく言えないが、そのことも感動的だった。このブログで1度書いた「極私的フットボーラー列伝」の記事のようになったが、ぼくの好きな選手については、いつもそのバックボーンを知ろうと思っている。フットボールは、いくらITによるプログラム化が進んだとしても、人間が行うものだからだ。アフリカの少年たちの問題は、このことも教えてくれる。フットボールが生み出す歓喜は人間からしか生まれてこないのだ。

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